身の回りにあふれるProの数々
気がつけば、ガジェット界隈では至るところに様々な「Pro」モデルが存在しています。それはガジェオタを自称する僕自身も例外ではなく、現在メインで使っているガジェットは、iPhone 16 Pro MaxにiPad Pro、M4 ProのMacBook Pro、とまさにProのオンパレード。まるで「Pro御三家」みたいな顔ぶれが毎日の生活の中心に並んでいます。
正直に言えば、ちょっと笑えてきます。
パソコンに「Pro」と付くのはまだ分かります。写真や動画を編集するために高性能を求める人も多いし、プロフェッショナル向けというイメージが理解できるからです。
でも、iPhoneに「Pro」って?
僕らは一体何のプロなんだろう。
写真家? 映画監督? それともSNSに生活を捧げる「インスタのプロ」?
いやいや、そんな大げさなわけじゃない。僕の場合はせいぜい日常のスナップを撮ったり、Lightroomで現像したり、このブログを書いたりする程度。どう考えてもオーバースペックであることは分かっているつもりです。分かってはいるつもり、で分かっているつもりなのにどうしてもProを選んでしまう。今回はその理由を探っていきたいと思います。
Proを選んでしまう心理
では、なぜ僕は「Pro」を選んでしまうのか。
冷静に考えると、(いや、冷静に考えずとも)スタンダードモデルでも十分に事足りるはずです。
メールもSNSも動画視聴も、スペックの違いを意識するシーンは少ないはず。
iPhoneだってProモデルと無印の大きな違いはカメラの性能や望遠レンズがあるかないかといった程度。写真愛好家としては写真はカメラで撮ることがほとんどなので正直Proモデルは必要ありません。MacBookだって別に大量の写真を現像することも重たい動画編集をすることもない。それでも僕はどうしてもProモデルを選んでしまいます。理由はとてもシンプルで、「何かができそうな気がする」からだということです。「なにそれ」って感じですが、「何かができそうな気がする」、これって多くのガジェット好きがProを選んでしまう理由ではないでしょうか。これまでにはできなかったことがProならできるかもしれない。(今はやっていないけれど)本格的な動画編集もできるかもしれないし、重たいRAW現像もスムーズにこなせるかもしれない。結局「かもしれない」で終わることも多いけれど、その“可能性”に心が惹かれてしまうのです。スペックをフルに活かしているかどうかなんてもはや問題ではないのです。Proを手にすることで「何かが始まる予感」がする。その予感こそがガジェット好きにとっては最高のご褒美なのだと思います。
ロマンとしてのPro
結局のところ最後はロマンに尽きます。
Proを持つことで日常が少しだけ特別に感じられる。iPhoneをポケットから取り出すときも、MacBookの天板を開けるときも、心のどこかで「これはProなんだ」という満足感を得られます。
たとえば写真を撮る瞬間。同じ被写体を同じように撮ったとしても、Proモデルで撮ったというだけでちょっと誇らしい。「自分はちゃんといい道具を使っている」という安心感があるし、その気分の高まりが撮影体験を豊かにしてくれる。
そしてそのロマンは、使えば使うほど染み込んでくるのです。Proモデルだから特別に速くなる作業もあるし、Proモデルだから余裕をもって動いてくれる安心感もある。「Proを扱っている自分ってなんかすごい」という自己肯定感を高めてくれる存在なのだと思います。
写真とProモデルの関係
では、Proモデルが写真生活にどう影響しているのでしょうか。
たとえばiPhone。スナップの相棒としては本当に優秀です。最近のiPhone Proモデルはセンサーもレンズもどんどん進化していて、「これスマホで撮ったの?」と驚かれるような写真が撮れます。もちろん、僕がメインで使用しているα7R Vのような本格カメラとは比べものにならない部分も多いけれど、「日常を切り取る」という意味では十分すぎるほど頼もしい。大きな一眼カメラを持ってスナップ写真を撮るには小回りがきかないし、どうしてもその存在が目立ってしまい他人の視線も気になってしまいます。他人の目が気になるとどうしても写真に集中できなくなるんですよね。その点、iPhoneなら撮りたいと思った瞬間にさっと取り出して撮ることができるし、一般的な一眼カメラよりは小型なので周りの目も気になりません。そしてProモデルであれば、一眼カメラにも劣らないクオリティの写真を撮ることができます。

MacBook Proは、現像やブログ執筆の中枢です。膨大なRAWデータをサクサク扱えたり、複数のアプリを立ち上げても重くならなかったり。効率的に作業できるからこそ、写真を撮った後の時間を快適に過ごすことができます。
iPad Proは、まさに「中間の自由」。ソファでリラックスしながらスナップのセレクトをしたり、Apple Pencilで軽くレタッチしたり。写真と暮らしをつなぐ架け橋のような存在になっています。こうして考えると、Proモデルはただのロマンでありながらもちゃんと僕の日常を支えてくれているのです。
僕にとってのProとは
もちろん、Proモデルがなくても写真は撮れるしブログも書くことができます。
生活に必須かと聞かれたら答えは「NO」です。けれど、Proモデルがあることで「もっと写真を撮りたい」「もっと言葉にしたい」という気持ちが湧いてくるのです。その小さな積み重ねが、日々の暮らしを少しずつ彩ってくれるのだと思います。だから僕はこれからもきっとProを選んでしまうと思います。ロマンに惹かれ、性能に安心し、「できそうな予感」にワクワクしながら。「ガジェオタの自分が怖いな」と苦笑いしつつも、やっぱり今日もProモデルを手にスナップを撮り、写真を現像し、このブログを書いています。僕にとっての「Pro」とは、日常をちょっと豊かにしてくれる魔法のラベルなのです。
別記事ではロマンと実用性を兼ね備えた「iPad Pro × Magickeyboard」についてレビューしていますのでぜひご覧ください。


なんだか今回はちょっと宗教っぽいというか自我の強い内容となってしまいましたが、ガジェット好きの方なら共感していただける部分も多かったのではないでしょうか。Proモデルがオーバースペックと分かっていながらも何かしらの理由をつけて自己肯定する、ガジェオタあるあるだと思います。








