自由になりたくて手にしたはずのカメラが、いつの間にか僕を不自由な場所に閉じ込めていたことに気が付きました。
富士フイルムのX100VI。 α7R Vという、重厚で、時に「作品を撮らなければならない」というプレッシャーを背負わせる最強の相棒から離れて、もっと軽やかに、もっと自分の暮らしに寄り添うスナップが撮りたかったはずなのに。

初めてX100VIを連れ出した門司港レトロ。 あの日、大正ロマンの香りが残るレトロな街並みを歩き、海風が吹き抜ける岸壁を歩きながらシャッターを切っていた僕は、心のどこかで言いようのない物足りなさを感じていました。
ファインダー越しに見えるのは、確かに美しい門司港の景色です。レンガ造りの建物に差し込む西日、行き交う人々のシルエット。カメラが弾き出すJPEGの画像は、富士フイルムが長年培ってきた「フィルムシミュレーション」という魔法によって、一見すると完成された「正解」のように見えました。けれど、背面液晶を確認するたびに、僕は小さく首を傾げていたんです。 「綺麗だ。……でも、僕が今、ここで感じている空気は少し違う」と。

あえてRAWでは記録せず、JPEG一枚勝負で挑んだ門司港のスナップ。 あとで編集できない、後戻りできないという緊張感は、確かにかつてのフィルムカメラのような高揚感を与えてくれました。しかし、その「制約」が僕から表現の自由を奪っていたことに、その時の僕はまだ気づいていませんでした。
自分の中で勝手に高い境界線を引いていました。「α7R Vは本格的な作品作り用。だからRAWで徹底的に追い込む。対してX100VIはお散歩カメラ。だから気楽に撮って出しで完結させるべきだ」と。 お散歩なんだから、現像ソフトの前で眉間にシワを寄せるなんて野暮なことはせず、カメラが用意してくれた色に身を委ねるのが「粋」なんだ――。そんな誰に言われたわけでもない自分で作り上げた「呪縛」に、僕はいつの間にか取り憑かれていました。
門司港から帰り、PCの大きな画面で写真を見返した時、その違和感は決定的なものになりました。 空の色、影の深み、光の粒子。それらはすべて「富士フイルムが考える正解」であって、僕がその時、その場所で心を動かされた色ではなかったんです。

数日間、その「物足りなさ」の正体と向き合いました。 そしてようやく、一つのシンプルな答えに辿り着いたんです。 僕は、シャッターを切る瞬間と同じくらい、その後の「RAW現像」という工程そのものがどうしようもなく好きだったんだ、ということに。
世の中には「富士フイルムのカメラを使うなら、撮って出しこそが至高」「レタッチするのは邪道だ」という、ある種の宗教的な、あるいは脅迫観念のような空気が漂っています。 もちろん、彼らの色作りの技術は世界最高峰です。長年の歴史が詰まったその色彩設計に、素人の僕がどれだけ背伸びをして挑んだところで、技術的な「完成度」で敵うわけがないことは百も承知です。
でも、写真は「正しさ」を競う競技ではありません。 メーカーが提示する「100点の正解」が、必ずしも僕の「心地よい色」とは限らない。 RAW現像は、僕にとって単なる「修正作業」ではなく、記憶の底にある景色を、一筆ずつ手繰り寄せるような、欠かせない「表現の儀式」だったのです。
「富士フイルムだから撮って出しじゃなきゃいけない」なんて、なんて勿体ない、そして不自由な思い込みをしていたんだろう。 自由になるために手に入れたコンパクトなカメラで、僕は自ら檻を作り、そこに閉じこもっていた。そう気づいた瞬間、ふっと肩の荷が下りるのが分かりました。

そうした門司港での「後悔」を抱えたまま、僕は次の撮影地へと向かいました。 設定画面を開き、迷わず「RAW+JPEG」を選択する。シャッターを切る感覚は門司港の時よりもずっと軽く、そして自由でした。
帰宅後、現像ソフトを開き、RAWデータを読み込む。 フィルムシミュレーションをベースにしつつ、露光量を微調整し、シャドウに僕が大好きな少しだけ青みがかったトーンを乗せていく。ハイライトの階調を、記憶の中の眩しさに近づけていく。 画面の中に、門司港ではどうしても掴めなかった「自分が見た景色」がゆっくりと浮かび上がってきたとき、それまで心のどこかに詰まっていたモヤモヤしたものはストンと落ちていく感覚になりました。

お散歩カメラだって、本気で作品を撮ったっていい。 撮って出しが好きならそれでいいし、レタッチが好きなら一晩中こだわればいい。 大切なのは、誰かが勝手に決めたルールに自分を当てはめることではなく、自分が一番「心地よい」と感じる瞬間を、一番納得のいく形で残すこと。
そんな当たり前の、でも忘れがちな真理に、この小さなカメラは気づかせてくれました。
「色の正解を、カメラに委ねるのをやめた日。」
ただ、その時の僕が一番「心地よい」と思える写真を楽しみたい。それで十分なんだと今は思っています。 このブログを訪れてくれる読者の方々も、もし何かの「呪縛」に窮屈さを感じているのなら、 一度そのルールを放り投げて、自分の「好き」だけに正直になってみませんか。
そこには、きっとあなたにしか見えない、新しい光が待っているはずです。


